僕の中のあいつ 第一部 第七章
「お兄ちゃーん!」

 僕が、バイトを終えて店から出た途端に優と美里が、向こうの方から両手を振って、駆け寄って来た。

「あれ?どうしたんだい、優」

 優は、小さな包みを僕の目の前に差し出した。

「へへー、あのねぇ美里が誕生日プレゼントだってこれ買ってくれたんだ!」

「ヘー良かったな、優。んで、何でここにいるの?」

「あのね、この近くのデパートに寄ったらね、美里が、お兄ちゃんのバイト先が近くにあるって言うから寄ってみたの」

「そっか……ところで、美幸は?いつも一緒だっただろうに……」

 いつもと違う気がしたのは、片割れの腕白坊主が居ないせいだった。

「あの子なら風邪ひいて、寝込んでますよ。さっき病院から帰って来て今頃布団の中で寝てるんじゃないですか?」

「大丈夫なのかい?」

「えぇ、あの子は、見掛けばっかりで、結構すぐ風邪ひいちゃうんですよ。今日一日大人しくしていれば明日にはケロッとしてると思いますよ」

「ならいいんだけど……。じゃぁ、どうしようかなぁ……」

「え?なに?なに?」

「いや、せっかくだから、皆でどっかに食事でも行こうかと思ったんだけど、美幸がそんなんじゃなぁ……又今度にするかぁ」

「えーっ!」

 優の残念そうな声を聞いていた美里が、ニコッと笑いながら僕達に気を使って来た。

「いいですよ、明さん。私は構いませんからお二人で行って来て下さい。もし私迄行ってしまったら、きっとあの子いじけちゃいますから……」

「でもさ、君はISSの仕事もあるだろう?一人は一緒にいた方が良いんじゃないのかい?」

「明さんこそ気を使わなくても良いですよ、たまには二人っきりでお食事なんて言うのも良いんじゃないですか?この頃私達も、夜遅く迄お邪魔している事が多いですし……」

 そう言って、美幸は少し頬を染める。

 そう……あの日以来彼等は結構遅く迄いて僕達の部屋で泊まっていく事も珍しくない。何故かは言わなくても解るだろう。

「いいのかい?美里」

「はい」

 そう言って、彼は小首を傾げ微笑む。その仕種が結構可愛い。

「そのかわりこれを持っていって下さい」

 そう言って、二つの物を懐から取り出す。

 一つは、マッチ大の黒っぽい箱、もう一つはボタン電池大のプラスチック片の様な物だ。そのうちの大きい方を僕に渡し、小さいのを優に手渡す。

「明さんが持っているのは、非常警報です、もし何かあった場合はボタンを押して下さい。私とISSの本部に警報が発信されます。優様の持っているのは、解りますね、発信機です。出来れば体のどこかにつけておいて下さい、この間みたいな事になると嫌なんで……」

 そう言って、再び笑い出す美里。その言葉に優は、真っ赤になってしまう

「うるさいよ、美里!この間の事は忘れてよっ。今日はお兄ちゃんと一緒なんだからそんな事しないよっ!」

「ははは、今回は、優の負けだな」

 そう言って、僕は優の頭をポンポンと軽く叩く。優は「むー」とほっぺたを膨らませている。

「ふふふ、じゃぁ私は部屋に戻りますんで。……あまり遅くならないで下さいね」

「わかったよ、後でお見舞いに行ってあげるよ」

「いえ、そんな事しなくても良いですよ。……でも美幸も喜ぶかな?」

「そうだよ、後でアイスクリーム買ってってあげるって言っといて」

「はい、確かに伝えておきますね。じゃ、また後で」

「じゃぁねー」

 優がブンブンと手を振る。そして、美幸はそれを口にする事は出来なかった。


 僕達は、バイト先の駅からさらに五駅程離れた、ターミナル駅の近くにあるレストランに居た。ここのメインはフランス料理なのだが、値段も安く味も良いので結構評判の良い店だ。ただ、店のおばさんが割烹着をきて注文を取りに来るのでどうしても安っぽく見えてしまう。それさえ除けばもっと高級店に見えるのだが……。

 僕は財布の中身と相談して優の為にコースを奮発した。いくら安いと言ってもコースになればやはり値段が張る。

 かちゃかちゃ……

 やがて、料理が運ばれて来た。優は黙々と料理に手をつけるが、何か不満そうだ。

「どうした、優。美味しくなかったかい?」

「ううん、料理は凄く美味しいよ……ただ、ボクもそれが飲みたかったなーって……」

 僕はワインを飲んでいた。しかし優の前にはコーラが置いてある。優の不満はそこに原因があった。

「しょうがないでしょ、ここは家じゃないんだから……第一この間の件を忘れたとは言わさないぞ」

 そう、あの夜の事だ。暫くの間我が家では『酒』と言う言葉は禁句になっていた。しかしこの頃僕の隙を見ては、頭の黒いネズミが出るらしく、僕が天井裏に隠したのだ。

 そうしたら、優と美幸が連合を組んで文句を言う言う!

 曰く「明兄ィは横暴だ!」とか「オイラ達にも飲ませろ!」とか……優に至っては「お兄ちゃんの物はボクの物、だからあれはボクのだ!」等と『ジャイアン理論』を振りかざしてくる。

 僕が「お前ら、まだ未成年だろーが!まだ早いっ」と叱ると「お兄ちゃんだって未成年でしょーが」と反撃して来る。僕もそのしつこさに辟易としてある協定を結んだ。

 それは、1週間に一日休みの前の日に、コップに半分の量を水で割って飲むのなら許す。

と言う物だった。最初は二人ともごねていたが、僕が梅酒を流しに棄てる真似をすると、あっさりと条件を呑んだ。

 そして今日はその日ではない。でも、今日は誕生日だしなぁ……あーあ、僕も結局甘いなぁ。

「一口だけだよ」

 そう言って、僕は優にワイングラスを渡してやる。中に入っているワインは現在魚料理が出ているので、白だ。

 優はそれを一息に飲み干してしまい、空になったグラスを僕の前に返す。しまった!やられた。

「あっ、こら!約束が違うだろ!」

「もう飲んじゃったもーん」

 そう言って、舌をぺろっと出す優。

「……解ったよ。じゃぁ、暫くお仕置きね……」

 お仕置きとは、僕と優の間でしか通用しない『禁エッチ』の事だ。

「えー、御免なさーい。謝るから許してよぉ」

「だーめ、良いでしょ美里も、美幸も、優がお願いすれば二人共喜んでしてくれるよ」

 僕は、少し意地悪な口調でからかう。

「でもさ、美幸ってば、入れてくれるのはいいんだけど、ただガンガン腰動かしてくるから、痛いんだよぉ」

「じゃ、美里は?」

「美里はねぇ、なんか入れられる方がいいみたい。たまに美幸としてるもん。だから、ボクはお兄ちゃんが一番なんだ。お兄ちゃんの事が一番好きだし……」

 はは……嬉しい事言ってくれるよ。僕は自然と頬が緩み顔がほにゃっと崩れる。

「わかった、お仕置きは無しにしてあげる。そのかわり……」

「やたっ……そのかわり?」

「……禁酒する事」

「うーん……わかったよ、お仕置きよりはずっといいや!」

「よし、決まりだ」

「はーい」

 僕達はレストランをでた後、美幸の為に大量のアイスクリームと果物を買い込んだ。

「お兄ちゃん、これでパフェ作ってよ」

「こらこら、これは美幸にあげるやつでしょうが。優のじゃ無いでしょ」

「わかってるよぉ、美幸も美里も好きだから言ってるの!」

「ああ、そうか、僕はてっきり優が食べたいのかと思ったよ」

「酷いや、いくら僕だって、病人の物は取らないよぉ」

「ははは、優ならやりかねないよ。さ、早く帰って、美幸達にパフェでも作ってあげよう」

 そんな事を言ってじゃれながら、僕達は電車に乗る。


 その帰り道、僕達はすっかり暗くなって皆帰ってしまった広い公園を歩いていた。

 ここは矢鱈と広く、この間迄は花見客で夜でもごった返していた。しかし、桜の季節も終わった今、人通りは余り無い。所々街灯がついているのだが、全体的には暗がりの方が多い。なぜそんな所を歩いているかって言うのは、公園を迂回すると十分位遠回りなのだ。

 でも今日は天気も良いのに誰もいないなぁ、普段だったらジョギングしてたり散歩してたりで、一人や二人はいるんだけどなぁ。

 そこへ前方から人陰がやって来た。黒いスーツを着ていたのでわかり辛かったのだ。その男は僕達の前に来て立ち止まる。

「優君、今、お父さんが何者かに襲われたらしくて病院に運ばれたんだ、一緒に来てくれないかな。優君の事呼んでいるそうなんだ」

 大変じゃないか。早く行ってあげないと……。

 しかし優の様子がおかしい。僕の腕にしがみついているのだ。

「君は誰だ?」

 優が非常に緊張した声で男に聞く。

「ああ、ISSの者です。この間配属されたばかりなんで……」

「……そう、じゃ、聞くけど何で清水が来ないの?じゃなかったら相模が来る筈だ」

 優は、更に僕の腕に力を込める、僕は優のただならぬ雰囲気を感じ取りポケットの非常警報装置を探り始める。

「それは、清水さんも相模さんも病院にいまして……」

「……嘘だね、君はISSの人間じゃない!ISSの人間だったら絶対に父様の事を若って言うし清水の事はチーフって呼ぶ!逃げよう、お兄ちゃん!」

 僕達はくるりと後ろを向き、ダッシュする……が5メートルも行かない内に囲まれてしまった。

「おい、早いとこ連れてっちまえ」

 さっきの男がまわりにいる男達に指示を飛ばす。僕は、警報装置を取り出そうとする……が焦りで上手く取り出せない。男達はこっちに向かってジリジリと迫ってくる。

 やっとの事で取り出してボタンを押す。その途端大音量の電子音が鳴り響く。

「てめぇ!」

 別の男が僕の顔面にパンチをくれた。拍子に警報装置が落ちてしまう。僕は優を後ろ手に庇いながらそれを拾おうと手を伸ばす。

 瞬間、僕の右手には焼火箸でも当てられた様な痛みとポキッと言う音が聞こえて来た。

 僕は思わず手を引っ込めようとしたが……できない。男が僕の手を踏み付けているのだ。男は「……ガキが……」と言うとグリグリと僕の手を踏み躙る。

 あまりの痛みに声が出ない。男は手の上から退くと警報装置を踏み付け壊してしまう。

 僕は咄嗟に手を庇い押さえる。どうやら、何箇所か骨が折れたらしい。指が全く動かない……。

「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」

 優が悲鳴の様な声をあげてすがりついて来た。僕は奴等に聞こえない様な声で優に話す。

「御免よ、優。僕は優の事守れそうにないや……。さっき美里に貰った物があるだろう。それを出来れば飲み込んじゃってくれ。奪われたら元も子も無い。清水さん達なら絶対に見つけてくれるよ。僕も絶対に行くから……」

 優は、ボロボロと涙を流しながら頷く。そして見えない様に胸ポケットから小さな物を取り出し飲み込んだ。そして、優はすっくと立ち上がり、僕の手を踏んだ男に向かって殴り掛かる。

「よくもお兄ちゃんの事を!」

「止めろ!優!」

 僕は制止の声をかけた。しかし少し遅かった。優は顔面に裏拳を入れられ、数メートルも吹っ飛ぶ。そして気絶してしまったのかぴくりとも動かない。

「早く連れていけ」

 別の男に指示をする。そうして優は抱えられて連れ去られていく。

 僕は怒りに我を忘れた。手の骨折なんか痛みの内に入らない。

「お前ら……あんな子供に暴力なんかふるいやがって……」

 男達は、鼻で笑っている。僕は折れていない方の手で、果物が入った袋を持ち男に叩き付ける。

 ぐしゅっ!

 やった!クリーンヒットだ!男の横面にバナナやオレンジの入った袋がぶち当たる。男の横をすり抜けて、優が連れ去られて方へ駆け出す……事は出来なかった。

 襟首を掴まれてしまい僕は逃げ出す事も出来なくなっていた。男は僕の胸倉を掴みなおすと2回、3回と殴って来た。口の中に血の味が広がる。どこか切った様だ。

 べっ

 僕はその血の混ざった唾を男の顔に吐いた。男の肩が怒りに震えている。僕は地面に投げ付けられた。受け身が出来ずにうずくまってしまった僕に容赦の無い蹴りが浴びせかけられた。顔へ、胸へ、腹へ……。

 げふっ……

 僕の口から大量の血が溢れ出した。息も苦しい。

「……さまぁ……」

「……兄ィ……」

 その時、遠くの方から声が聞こえて来た。

「まずいな、誰か来たぞ。そいつはそこらの茂みに捨てておけ。撤収だ」

 最初の男が僕を植え込みの中に乱暴に投げ捨てた。畜生、人の事ゴミみたいに……優を返せ……。僕がやっとの事で茂みから這い出すと男達は既に居なかった。何とか立ち上がろうとして、バランスを崩す。どうやら御丁寧に足も折られている様だ。

 仕方ないので、這いつくばって男の後を追う、しかしそのペースは亀よりも遅い。そこに懐中電灯の光が当てられた。凄く眩しい。

「兄ちゃん!明兄ィ見つけたよ!早く来てっ!凄い怪我だっ!」

 あ、美幸か……来てくれたんだ……

「……ゴメン……美幸……優を守れ無かったよ……」

「いいから喋らないでっ!」

 そこに美里も来た。その瞬間美里は絶句してしまう。

「もうっ!吃驚してる場合じゃ無いだろっ!」

 美幸は、美里が持っていた携帯電話を奪い取る。

「もしもし!チーフですか!今、明兄ィを見つけたよ。でも酷い怪我なんだ!救急車よんでよっ!後、優ちゃんは誰かに誘拐されたと思って間違い無いよ!優ちゃんの発信機は生きてるんだよね!早く追跡してっ!」

 美幸は一気に内容を報告している。美里はどこからかハンカチを濡らして来て僕の顔を拭いてくれている。濡れたハンカチの冷たさが気持ち良い。僕は優に発信機を飲み込ませた事を伝えた。美里が何か言っている、でも僕には何を喋っているのか理解出来なかった。とにかくISSの人間が来てくれた……それによって安心したのか遠くに救急車のサイレンを聞きながら僕は気絶してしまった。


 目を覚ますと僕は一瞬どこにいるのか解らなかった。病院にしては……ここは病院か?……。

「あ、気がついた。兄ちゃん!明兄ィの気がついたよ」

「……ここは?」

 僕は少しでも情報が欲しかった。上半身を起こそうとしたが、激痛に動けない。

「駄目だよ!明兄ィ、動ける状態じゃ無いんだから……。それとここは泉寺総合病院のVIP専用の病室だよ」

 そうか、やっぱり病院だったのか……

「……今、何日だ……」

「21日だよ、明兄ィは三日間眠っていたんだ……」

 何だって?三日も眠っていたのか僕は!早く優を助けに行かなくちゃ!僕は、身体中の痛みと格闘しながら何とか体を起こそうとする。

「駄目だって!動ける状態じゃ無いって言ってるじゃないか!」

「……だって、優を助けに行かないと……優と約束したんだ……」

 その時病室に美里と清水さんが入って来た。

「あっ、チーフ、助かった。明兄ィが優ちゃんを助けに行くって言う事聞いてくれないんだよぉ」

 清水さんは、僕の横にある椅子にドカッと座る。

「あんちゃん、その意気は嬉しいんだけどよ、今の自分がどれだけの怪我してるか知ってんのか?」

「……いいえ……」

「そうだろう。いいか?上から言うぞ。まず鼻骨骨折!肋骨三本単純骨折!右肺気胸損傷!右腕、人指し指、中指、薬指複雑骨折!大腿骨複雑骨折!その他、全身にわたって打撲による内出血の嵐!及び擦り傷切り傷は数えきれず!合わせて全治6ヶ月以上だとよ!医者が呆れてたぞ。後少し臓器に損傷があったら死んでたそうだよ。あんまり無理しちゃいけねぇよ、あんちゃん」

 最後の方は僕に優しく語りかけてきてくれた。

「……あの……状況を聞かせてくれませんか……」

「状況か……あんまり芳しくねぇな。あの日遅くに強迫電話が来たよ、身の代金に20億よこせってよ……若が今用意しているよ。

警察も極秘に動いているがな。しかしメインはこのISS特務だ。今、世界中の特務班のメンバーの中から腕利きを集めているよ。それと武器もな……。もし坊に何かあったらそいつ等絶対に殺す。それも簡単には死なせねぇ、あらゆる苦痛の中で死んで貰うぜ……泉寺に逆らったらどう言う目に遇うか教え込んでやる」

 彼の目が凄惨な光を放つ。僕はそれを見て寒気を感じた。

「優、優君の居場所は判っていますか?」

「おー、そうそう!坊に発信機飲ませたんだってな。助かったぜぇその情報が無かったら今頃どっかに捨てられてたかもな。お手柄だぜあんちゃん。おかげで坊と犯人達の場所は判ったんだ。ただ、あまりに見通しがいい場所なんでな、見張りが置けないんで米軍の偵察衛星を借りてモニターしてるよ」

 て、偵察衛星……一体どれだけ強大なコネを持っているんだ?泉寺家って言うのは……

「……あの……優君のお父さんとお母さんに謝っておいてくれませんか……」

「あぁ、そいつは気にすんな。逆に若が謝っておいてほしいって言ってたから。泉寺のごたごたに巻き込まれた上にそんな怪我を負ったんじゃ、そっちの両親に謝りようが無いってな」

 僕はその言葉を聞いて涙が出た。だって、普通の親なら絶対に我が子の事を気にする筈だ。ましてや僕のせいで優は連れ去られたと言っても過言では無い、その事を責められても仕方ないと思っていた。それなのに、僕の事を心配してくれている。そう思うと涙が止まらなかった。

「あんまり自分を責めるんじゃねぇよ。そろそろ俺は帰るからよ、しっかり養生しろよ、後は俺等にまかせとけや。じゃぁな、あんちゃん」

 そう言って清水さんは背を向けるそしてドアを開け出ていく時に思い出した様に美里達に声を掛ける。

「おう、お前ら、あん時から殆ど寝てないんだって?少しは寝ておけよ。そんなんじゃ坊の救出に連れて行けねぇぞ。いいな、しっかり寝るんだぞ!」

 そう言って、ドアを閉める。

 ……寝てないって?どうして?

「美里達、寝てないのかい?」

「大丈夫ですよ、ちゃんと毎日一時間位は交代で寝てますから……」

 一時間だってぇ!そりゃ寝てないって言うんだ!見ると確かに目の下に隈が出来ている。

「なんで寝ないんだ。美里」

「……だって、だって……私が一緒に居なかったから……だから優様は誘拐されちゃった……明さんだってそんな大怪我しちゃった……」

 美里はヒックヒックとしゃくりあげ、泣き出してしまった。最後の方は言葉になっていない。それを、美幸が続ける。

「オイラが風邪なんかひいたのがいけないんだ。そんなたいした風邪じゃ無かったのにわがまま言ったから……そのせいで……そう思うと兄ちゃんもオイラもとってもじゃ無いけど眠れなくって……せめて明兄ぃの身の回りの世話でもしてようって……」

 美幸も唇を噛み締め涙を流している。

「有難うな、二人とも……でも今は寝てくれないか。じゃ無いと、さっき清水さんが言ってたろ、優を助けに行かなくちゃ……そうだろ?」

 二人は大粒の涙をこぼしながら頷く。

「さぁ、もう寝よう、僕も眠くなってきた」

 そう言って僕は目を瞑った。


 二日……三日……と、過ぎる。その間、僕は毎日が辛くて、辛くてしょうが無い。今頃優はどうしているだろう……、恐い目に遇っていないだろうか……そう思うと、動く事が出来ない自分が情けなかった。

 そして一週間が過ぎ、まだ歩く事は出来ないが、上体位なら起こす事が出来る様になった頃、僕のもとに一人の老人が訪れた。

「明さん、よろしいですか?」

「なんだい?美里」

「あの……来客です」

 ヘぇ、誰だろう?ここに入院してから、見舞い客など来なかった。父ちゃんや母ちゃんは来たのだが、事情が事情なので、あまり長居をしない様に頼み込んでいたし、蘭夢音の皆にも来ない様に美里に言付けを頼んでおいた。マスターは美里に質問攻めをしたらしいが、美里が上手くあしらってくれた様だ。だから、ここに来るのは美里達と、たまに清水さんが状況を教えに来てくれるだけだったのだ。

「いいよ、入ってもらって」

 美里がドアを開け、車椅子を押してきた。そこには僕の知らない顔があった。

「あの、このお方は……」

「あぁ、良い。自分で名乗る」

 少し頭が薄くなっている小柄な老人は美里の言葉を遮る。車椅子に乗っているって事は足腰が弱いのだろうが、そうは見えない程にしっかりとした姿勢を保っている。

「儂は、泉寺重吉と言う者、この度は当家のごたごたに巻き込んでしまって大変申し訳ない」

 そう言って、老人は深々と頭を下げる。

 泉寺重吉?僕は記憶を探る。あぁ、優のお祖父さんか……って事はIZUMICの総裁?

「あっ、あのっ、そんな……。僕の方こそ謝らないとならないのに……お孫さんをこんな目に遭わせてしまって……」

 僕はひたすら恐縮する。

「いやいや、本来優の事を守るのは特務の仕事……それをここ迄怪我をしながらあれの事を守ろうとして下さった……儂にはそれで充分じゃ……」

 そして、美里の方を見て、言葉を続ける。

「勿論、この子にも責任は無い。聞いた所によると賊は5、6人いたそうじゃの……この子一人でも、おそらく同じ目に遇っとった筈じゃ」

 美里は俯いている。さすがにあの晩の事を思うと悔しいのだろう。

「あの……犯人達から接触はあったんでしょうか……優君は無事なんでしょうか……、僕はそればかりが気掛かりで……」

 重吉翁の顔が一瞬曇る。そして、美里に向かい

「美里君、少し席を外してくれんか、儂は明君と二人で話がしたい」

「はい、わかりました」

 そう言って、美里は病室から出ていく。

 彼が出ていくのを確認した翁は車椅子を更にベッドに近付けてきて、絞り出す様な声で話し始める。

「実はな……今日、賊から新たな要求が来おった。彼奴等調子に乗りおって、今度はIZUMICの経営権を渡せと言って来たんじゃ。どうやらそちらが本当の狙いらしいがな」

 経営権って……あの巨大企業の?僕には幾ら位の価値になるのかも解らない。

「あの……それってとんでもない要求何じゃ無いですか?」

「とんでもないな……国家予算以上の資産を全てよこせと言っている様なもんじゃからの」

「こ……国家予算〜!?」

 僕は正直言ってそれ以上言葉が出なかった。

「儂は、別にそのような物に執着しておる訳では無い。だからその要求は呑んでも構わん。可愛い孫を奪われるよりはよっぽどましじゃ。その気になればまた一から事業を起こしてしまえば良い、そのノウハウは息子にはもう伝えてあるからの。儂が生きているうちには無理かも知れんが、息子や優がきっと今以上の企業にしてくれるじゃろう。ただ、それに巻き込まれる人間達が可哀想じゃ」

 そう言うと、翁は深い溜息をついた。

「儂は、先ほど役員会議で引退する旨を伝えて来た。次の経営者は白紙のままでな……」

「失礼します」

 その時美幸が入って来た。

「何じゃ!まだ話をしている最中じゃ!美里に言っておいたであろうがっ!」

 さすがにIZUMICの総帥であるその一喝は素晴しい程に威厳があった。美幸は身を縮めてしまっている。

「すっ、すいませんっ。あの……チーフが緊急の御用件て事でいらっしゃっています」

 さすがの美幸も翁は苦手らしい。いつもの腕白ぶりが全然見えやしない。

 そこに、清水さんがやってくる。

「親爺、悪いな。話し中に」

「何じゃい、清水。お主が来たからには余程の事かい」

「あぁ、奴等から、新たな指示があった。とんでもない指示がな……」

「何じゃい、言うてみぃ」

「一寸待ってくれ、親爺。おい、美幸。相模と美里を呼んで来い。話はそれからだ」


「話ってのは、奴等からの要求の事だ。さっき電話で身代金の受渡し場所を指定して来た。明後日、正午にT市の米軍基地跡に来いってんだが……」

 清水さんがちらりとこっちを見て言葉を続ける。

「逃走用の資金として、二十億。それと燃料を満タンにして、なおかつ給油用の燃料を満載にした、大型輸送ヘリ。ヘリの給油用燃料は、当日その場で積み込む事。そして……」

 再び清水さんがこっちを見る。

「現金の受渡しに、この間の青年……つまり、明……お前の事だ……を一人でよこす事。以上が奴等が言って来た内容だ…….まだこの事は若と京香(優のお母さんだって)さん、それに俺しか知らねぇ」

「何じゃとぉ!」

「酷い……」

「そんな……」

「無理だ……」

 話を聞いていた連中は、口々に呻く。しかし、僕はやっと優の事を助けにいける、ただその事だけを思っていた。


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