僕の中のあいつ 第二部 第十章
 結局、病院に連れ戻された僕は先生にもこっぴどく怒られてしまった。ただ、二日後に退院と言われたのが救いだった。

 取りあえず僕の方にも常に監視がおかれる事となってしまったので、退院迄は大人しくしているしかなかった。

 退院後、多少監視の眼が緩くなったとは言えやはり動きが取りづらい。どこに行くにも美幸君か美里君がいるのだから。まぁ清水さんが四六時中張り付いているよりはいいけど。

「明兄ぃ、今日はどこに行くんだい?」

 ここの所病院でリハビリを終えた後に家の辺りを歩き廻るのが習慣になっていた。何かきっかけになる物があるかも知れないから。

 しかし、いくら歩き廻っても得られる物は無い。

「判らない……」

「あのさぁ明兄ぃ、オイラ余り無理しない方がいいと思うんだけどな……。何かスンゲーやつれてるよ、顔色も悪いし……。余り酷かったらオイラおっちゃんに報告するよ?」

「頼む……それだけは勘弁してくれ……」

「解ってるっての!夏休みに入ってて良かったよ、兄ちゃんが優ちゃん担当じゃなかったら明兄ぃ今頃病院に連れ戻されてるぜ。って事でオイラには感謝するように」

 確かに再入院の話は今日病院でも言われた。取り合えずは睡眠薬の処方に留まってはいるが……。

 はっきり言って眠れないのだ、優君の事が気になって……。無理に目を閉じてもすぐにうなされて起きる。食事も喉を通らなくなった。早くしないと……その思いばかりが頭の中でグルグルと回る。

「明兄ぃ?」

 気が付くと美幸君が僕の前で手をヒラヒラさせていた。

「優ちゃんの事で責任感じるのは解らないでも無いけどさぁ、それで明兄ぃが潰れちゃったら意味無いよ?本人だってやっと落ち着き始めてるんだし、これで明兄ぃが倒れたらまた同じ事の繰り返しだよ。それとも何?ちょっと聞かせて貰うけどさ、もしかして二人でオイラ達に迷惑かけて楽しんでる?」

「……ゴメン……そんなつもりは無いんだけど……やっぱり迷惑だよな」

「いや、オイラはいいんだよ別に。でも兄ちゃんがね……。何で皆自分の事責めたがるかな?こんなの誰が悪いなんての無いような気がするけどな」

「でも、優君がこんな事になったのはやっぱり僕のせいだし……」

「だから何で自分を責めるのさ。じゃあ明兄ぃが記憶を無くす原因を作ったのは?その状況を作るきっかけを作ったのは?結局皆が原因なんだよ。だから明兄ぃが一人で何とかしようったって意味無いんだって。皆が悪いんだったら誰も悪くないのと一緒だよ」

 何か解るような解らないような奇妙な理論武装で僕を説き伏せる。

「何か難しいな」

「そうかな?でも、誰も悪くないって思ってた方が気が楽だと思うけどな」

「でもそれって無責任って言わないか?」

「かもね。じゃぁ無責任ついでにもう一つ、優ちゃんが女の子だったら良かったのにね」

 美幸君はそう言って笑う。それは当事者じゃないから言えるんだよ……。僕は心の中で思う。

「ところでさ明兄ぃさ、そろそろどっかで休まない?暑くてクラクラしてきたよ」

 確かに今日はこの夏一番の暑さだとテレビで言っていた。僕も確かにフラフラする。

「そろそろ帰るか……これじゃ倒れてしまう」

「お兄ちゃん……どぉ?」

 僕の前に恥ずかしそうな顔をした優君が立っていた。

「あれ?どうしたんだい?スカートなんかはいちゃって。美幸君の言った冗談なんか間に受けるなよそんな事」

「ううん……ボク女の子になったの……そうすればお兄ちゃんとずっと一緒に居られるよね」

「冗談言うなよ。そんな簡単に男の子が女の子のなれる訳無いじゃないか」

「ホントだよ。ボクは嘘つかないよ、ほら……」

 優君は僕の手をそっと取り自分の股間に導いた。うげ……マジで何も無い…….

「ちょっと待て優君!いくらなんだって僕の為だけに女の子になったって言うのか!」

「そうだよ。ボクが女の子だったら今のお兄ちゃんでも抱いてくれるでしょ?だから女の子になったの」

 いつの間にか二人は生まれたままの姿になっており……

「ゆ、夢か……」

 全身から滝の様に汗が吹き出ていた。

 しかし、なんつー夢を見てるんだ、僕は……。

 昼間の美幸君の冗談がこんな所で影響を出すとは思わなかった。僕は全身をびっしょりと濡らしている汗をタオルで拭う。ただ、それだけでは身体がベタベタしていてあまりすっきりしない。

「こら、お前もいい加減鎮まれ」

 恥ずかしい事に今の夢ですっかり自分の分身は大きくなってしまっていた。あそこでそのまま寝てたら夢精していたんじゃ無いかって思う。

 僕は熱めのシャワーを浴びて、汗を流し去る。結局完全に眼が冴えてしまった僕は汗でぐっしょりと濡れている布団に再び寝るのも躊躇われ、深夜の街を散歩する事にした。

 少しは涼しい風が吹く夜の街を僕はふらふらと歩いていた。既に殆どの人が寝ていて道路を照らすのは街灯と月明かり、そしてたまにまだ起きている家から洩れる明かりだけだ。

 暫くあても無く歩いていると大きな公園に辿り着いた。そこは昼間は結構色々な人がいて賑やかだったりするのだがさすがにこの時間になると人っ子一人いない。散歩道に街灯が寂しく灯っているのみだ。

 僕は少し暗がりにある芝生に寝転がった。地面がひんやりとして実に気持ちが良い。

 暫くの間、僕は満月と戯れる雲の行方を見ながらぼーっとしていた。

 どのくらい経ったのか、僕は少しウトウトしていたらしい。それを現実に引き戻したのは公園のもう少し奥の方から聞こえた女性の喚き声。

 かかわり合いにならない方がいいかなとも思うが……これで何かあった時には寝覚めが更に悪くなってしまう、もし酔っ払いとかなら放っておけば良いかと思い、僕は声のした方に行ってみた。

 そこには数人の男が一人の男を囲んでいる。そばに女性がいてその子がやめてよ!と必死に囲んでいる方に向かって叫んでいた。どうやら囲まれている方の彼女らしい。

 警察呼んだ方がいいかな……。お互いの服装等から見てどうやら仲間同士の喧嘩ではない様だ。

 僕が近付いてきたのを見て一人が寄ってきた。

「みせもんじゃねーんだよ、とっととどっかに行けよボケ」

 実に頭の悪そうな台詞を吐いている。しかも年の頃からすると美里君達よりも一つか二つ位しか離れていないような気がする。絶対に二十歳は超えていないだろう。

「警察呼んでよ!お願い!」

 女性が僕の事を見て叫ぶ。

「判ったよ、今呼んであげる」

 僕は目の前に立っている悪ガキを無視して確か入り口近くに公衆電話があったなと考える。そして方向をかえ入り口の方へ歩を進める。

「ふざけんな!てめぇ!」

 こいつはよっぽど僕の事が嫌いらしい。僕の胸倉を掴んで今にも殴りかかりそうな雰囲気だ。まぁこんな奴等に好かれるのも御免だが……。

「ふざけちゃいないよ、さっき彼が言っただろ?見せもんじゃないって、だから帰るんだよ。それのどこがいけない?」

 僕は別の男の方を見ながら話す。

「おい、なにやってんだよ。そんなの一発殴っちまえば大人しくなんだろうがよ」

 やはり、まったく帰してくれる気は無いらしい。自分達のストレスを解消するまで殴り続けるつもりだろう。女性の方はまず確実にこの馬鹿者達に弄ばれるだろう。羽交い締めにしている奴が女性の胸を揉みはじめているから。僕達では大した反撃は出来ないと思っているようだ。

「生憎大人しく殴られたくはないね」

「なんだとこの野郎!」

 胸倉を掴んでいた奴が僕の事を殴る。やはり清水さんのパンチに較べたら全然痛くない。これこそ僕が待っていた瞬間だった。

「正当防衛成立かな……」

 僕はそいつが構える前にそいつの腕を取り逆手に決める。僕の利き腕が使えないから余り時間はかけられない。まぁギプスは丁度いい凶器になるからいいけど……。

 情けない悲鳴をあげながらそいつは僕から逃げようとしている。やはりこいつ等何の基礎もない只の素人だ逃げようとすれば余計痛いだけなのに……。

「この野郎!ジュンに何しやがる!」

 へぇ、こいつジュンて言うのか。覚える気は更々無いけど。

「何って殴られたからお返ししてるんだよ、言っただろ?大人しくは殴られないって。少しは人の言った事聞いてたら?」

 僕は絞っていた腕を更に捻りあげて突き放す。バランスが崩れてよろけた所を蹴りつけてやる。そいつは面白い位に顔から地面に突っ込んでいった。それを見て他の奴等が色めきたち、僕の周りに集まってきた。

「野郎!」

 本当に語彙が少ないなぁ……。

 一、二、三、四……全部で五人か……。いっぺんに来られたらまずいな。

 そう思い何か良い手が無いかを考えたかったが、奴等はその時間をくれそうに無い。

「ぶっ殺す!」

 そう言って跳びかかってくる。

 ラッキー、様子見なのか知らないが一人だけが僕を襲う。でも、悪いけど隙だらけだよ。僕は突進して来た奴をかわし、足を払ってやる。

 なまじ勢いがついていたからそいつも見事にバランスを崩してコケてくれる。

「てめぇ、さっきからずいぶん勝手な真似してくれてんじゃねぇかよ」

「何言ってんだよ、因縁つけてきたのはそっちだろ?」

「そうよっ私達何もしてないのに何でこんな目に遭わなくちゃなんないの?」

 やっぱりそうか。理由はどうでもいいんだ、ただ単に人を殴りたいだけなんだな……。

 おそらくこいつ等群れてなければ何も出来ないんだろう。

「うるせぇな、俺等がムカついたんだよ」

 そんな幼稚な理由で絡まれた方はたまったものではない。

「じゃぁ聞くけど君達がそんな立場になったらどうする?」

「んな事決まってんだろ!ぶち殺すんだよ!」

 あぁやっぱりな……。そう言うと思ってたよ。

「あ、そう……。じゃ、遠慮しなくていいね……」

 僕は左手で三角巾をはずす。もとより遠慮するつもりは無いけどね。

「おい、こいつからやっちまおうぜ!」

 別の一人が言う。

「死ねよ?」

 誰もお前らなんかに殺されたくないや……、突っ込んで来た一人をギプスのラリアートでぶっ飛ばす。そして今度はこっちから突っ込んでいった。攻撃は……って言うからね。

 何かを取り出そうとしている奴を目標に定め、肩口から体当たりをかます。

「わぁっ!」

 自分がいきなり反撃を食らうとは思ってなかったのだろう、情けない声を出して尻餅をつく。せめて突破口を作るか何かしたいんだけどなぁ……。

 多分何人も同じように痛めつけた事があるのだろう、比較的等距離で囲まれ、倒してもすぐにその場所に他の奴が来るので突破口がなかなか作れない。

 こりゃ持久戦かな……。

 でも、持久戦に持ち込まれたら不利なのはこっちだ。一気に駆け抜けるしかないかな……。僕は奴等の隙を伺いながら一斉に襲い掛かられないように牽制をする。

「おい!ちょっとこっち見ろよ!」

 どうやらこいつ等、基本的に辛抱すると言う事を知らないらしい。女性の首筋にナイフを突き付けている。

「お前が今度何かやったらこいつ、死ぬぜ!」

 彼女は余りの恐怖に硬直している。この場合は下手に動かない方が刺激しないで済むからいいんだけど……。こいつ等本当に卑怯だな……。

「おいナイフ離してやれよ!その子は何もしてないだろ!」

 ナイフを突き付けているのはさっき蹴り飛ばしてやった奴だ。こんな事なら腕の一本も折っておけば良かったかな…….

「うるせぇ!黙ってろ!お前は俺達に黙って殴られてリゃいいんだよ!」

「……」

 こうなっては仕方ない、僕は構えを解く。

「さっきはよくもやってくれたなっ!」

 足を引っ掛けた奴が僕の顔面を思いっきり殴る。こんな集団でしか威張る事が出来ない様な奴等の言いなりにならないとならないなんて…….

「……何だよその面ぁ!」

 ボディーに一発きついのを貰った僕は思わず前屈みになる。そこに更に膝蹴りが出迎えてくれた。

 ぐらっとよろけた僕をもう大丈夫だとばかりに一斉に殴り掛かって来る。

 一度倒れてしまった後は奴等のやりたい放題だった。僕の事をボールか何かとしか思っていないらしく、容赦の無い蹴りを浴びせてくれる。

 げふっ……

 腹に一発貰った僕は胃の中身をぶちまいてしまう。

「げっ、汚ねぇ!こいつゲロったぜ」

「マジ?お前そのゲロ俺にくっつけんなよ?」

 下品な笑い声をあげながら僕の頭を踏みにじる。

 ツンと鼻を突く臭いと共に僕の顔は吐瀉物と泥にまみれる。それでも奴等の攻撃の手が緩む事は無い。どちらかと言うと僕の姿を見て嗜虐性を刺激されたのか、どんどんと蹴りつける力が増した様な気がする。

 今の僕には急所を攻撃されない様に身体を丸めている事しか出来ない。

 一体どれだけやれば気が済むのだろう。全身をくまなく蹴りつけられ、もはや痛みなんて感じない。衝撃と灼熱感のみが身体の感覚を支配する。

 ……僕はなんで蹴られているんだろう……意識が朦朧として、なんでこうなったのかがいまいちよく思いだせない。

「おい!こいつの財布見てみろよ!すげーぜ!」

 誰かが叫んだ途端にあれだけ激しかった暴力の嵐がピタリと静まる。

 僕は地面を這いながら逃亡を試みる。相変わらず何かに気を取られている奴等が再び僕に興味を持たない様に祈りながら。しかし、それは無駄な祈りだったらしい。

「おめ、何逃げてんだよ」

 僕は後頭部を足で押さえ付けられ、地面とキスをする羽目になった。

「おい、もういいよ、そんなやつ放っておけよ。それよかさ、この金で遊び行こうぜ」

「それいいな!」

「おい、てっちゃん。あれ……マッポじゃねー?」

 取り巻きの一人がどこかを見て声をあげる。

「ヤベ……おい、さっさと逃げようぜ」

「こいつどうする?」

「そんなのかんけーねーよ!早く逃げねーとこっちがパクられちまうよ!」

くそ……逃がすもんか……僕は必死に近くに居た奴の足を掴む。

「あ!ばかやろ!離せよ!」

「誰が……は……なす……もんか……」

 逃げることに気をとられている奴等の仲間はそいつを見捨てて自分達の身の安全を確保しようと散開する。

「おい、待ってくれよ!こいつをどうにかしてくれよ!」

 皆に声をかけながら空いている足で僕の事を蹴りつける。

 ここで逃がしてしまったら手がかりが無くなっちゃう……。そんなんじゃあの子を守れないじゃないか……。

「お巡りさん!こっちです!早く!」

 遠くから誰かの声が聞こえる。

「離せってんだ!このボケ!」

 渾身の蹴りが、僕の顎を打った。ふっと目の前がぐるぐる回る。全身から力が抜ける。

「おい、待て!止まらんか!」

「大丈夫か!君!」

「救急車の手配だ!早くしろ!」

 ……あの子は無事に逃げることが出来たのだろうか?

「はや……く、つかまえ……」

「安心しなさい、もう大丈夫だから。君はもう心配しなくていいから、静かにしてなさい」

 そうか……もう……大丈夫なんだ……。

 大柄な人たちが僕の事を抱き上げる。沢山の人たちがぼやけた視界の隅に見える。

 これだけ人がいるんだ、大丈夫だよ……きっと無事さ……。僕は少し安心して目を瞑った。



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