僕の中のあいつ 第二部 第五章
「お兄ちゃん、今日は何時頃帰ってくる?」

 僕がIZUMICに就職してからもう数カ月が経とうとしている。今日もいつも通りの時間に出勤するべくスーツに着替えている時に優が珍しく帰宅時間を聞いて来たのだ。

「どうだろうな、会長の方で用事が無ければいつもの時間には帰って来れると思うけれど……」

 そう、僕は今IZUMICの総裁である優の祖父の下で秘書をやっている。どう言う訳か、僕の事を気に入ってしまっていて、四六時中僕の事を連れて行動する。その為に週に2〜3回は遅くなる事があった。それでも優は仕事なのだからとそんなに時間を聞いてくる事は無かったのだが。

「珍しいな、優がそんな事聞いてくるなんて。何か用事でもあるの?」

「えとね、健太と美里が仲直りしたんだよね。それで今日、皆で御飯を食べようって事になってね。それでお兄ちゃん何時に帰ってくるのかなぁって……」

「そうか、じゃぁ、なるべく早く帰ってくる様にするよ」

 僕は優に行って来ますのキスをして、家を後にした。

 美里と健太の仲違いのそもそもの原因は僕にある。もう少し注意を払うべきだったのだ。



 話は約一ヶ月前に遡る。

 事の発端は健太が持って来た数枚のチケットだった。

「師匠!今度の日曜日暇?」

 僕が会社から帰って来て、優と遅めの晩御飯を食べている最中に健太が息せき切って玄関から飛び込んで来たのだ。

「なんだなんだ……何なんだよ。いきなり入って来て……しかもそんなに慌てて、急用なのか?」

 僕は取りあえず、モグっていた御飯を飲み込むと、健太の方を向いた。

「ごめん、師匠。御飯中だったんだ。いいよ、そんなに急用ってんじゃ無いんだ。先に食べちゃってよ、ごめんなさい。先輩、なんか邪魔しちゃったみたいだ」

「んー、別にいいよ、気にしないで」

 本当に気にしていないらしく、まぐまぐと御飯を食べている優。僕も、残っている御飯を口に入れる。

 御飯を食べ終えた優は食器をキッチンに運んだ後、お茶を3人分入れてそれぞれの前に置いた。

「で、なんなの?健太」

 一番最初に口を開いたのは優だった。

「あ、そうそう。先輩にも聞いて欲しかったんですよ。さっき俺の父さんが帰って来て、豊玉園のタダ券くれたんですよ。それの期限が今度の日曜迄だったんで、それで一緒にどうかなぁって」

 その言葉に敏感に反応したのもこれ又優だった。

「え!豊玉園?行く行く!」

 豊玉園とは僕が通勤に使っている私鉄の系列会社が運営している遊園地だ。絶叫系のマシンが豊富に有るのが有名で園内の半分位は絶叫マシンで占められていると思う。健太はそこのタダ券を10枚近くも持って来ていた。

「どうしたんだ、こんなに一杯」

「父さんは豊玉園駅の駅長なんだ。それでこの間キャンペーンみたいなのがあって買わされたんだって。配るには配ったんだけどこれだけ余ったから、友達でも連れて行って来いって」

「そっか、じゃあお父さんにお礼を言っておいてくれよ」

「そんなのはいいよ。元々余り物なんだもん」

「でも、こんなにあるのに3人じゃ、なんか勿体無いよね……」

「そうだな……、そうだ、美里達も誘ったらどうだろう?あいつ等も結構喜ぶんじゃ無いのか?」

「あ、それいいね、お兄ちゃん。どぉ、健太もそれでもいい?」

「え?俺はいいですけど、美里って?」

「え?健太は絶対知ってるよ。同じ学校だったもの。スーパーヘルパー美鏡ブラザーズ、知らない?」

「え?知ってるも何も……えぇっ知り合いなんですか!」

「知り合いって言うか、ボクの護衛なんだけど……」

「何、あいつ等そんなあだ名がついてるの?」

 うんと頷く優。

「凄いんだよ、師匠。美鏡先輩達ってね運動部の試合で困った時には必ず助けてくれてね、絶対に勝ってくれるんだ。でも、どこのクラブにも入ってなくって、顧問の先生達はうちにうちにって睨み合いしていた位なんだよ」

 健太は興奮して喋っている。

「でも、それならどうしてこの間の大会にでて来なかったんだ?」

 そうすれば優勝出来たんじゃ無いか?僕はその疑問を優にぶつけた。

「だって、ボクが拒否したもん。それにもうすぐ高校受験があったし」

「え?だって、お前達の学校って、エスカレーター式じゃ無かったっけ?」

「そうだよ、でも形だけみたいな試験があるんだ」

「そうなんだ」

「そうなんだよ。美里達が出て来れば絶対勝ったと思うよ、でもさ、そしたら正式メンバーが出られないじゃない?それに健太とかの試合での実力も見たかったし。だから先生に言って出すのを控えてもらったの」

「なるほどね」

 確かにその通りだ。僕は納得して頷いた。

「じゃ、先輩が言ってくれなかったら俺ってあの大会出られなかったんですか?」

「どうかな?でも難しかったと思うよ」

「そうだったんだ……」

「でも、あのメンバーで準優勝迄いったんだからいいじゃないか。よくやったとおもうよ」

「そうそう、ボクもあれでよかったって思ってるもん。じゃ、ちょっと美里達呼んでくるね」

 そう言って、優はさっさと向いの美里達を呼びに行ってしまった。



「あの、明さん。優様が何か話があるからって……」

 そう言いながら美里が入って来た。

「わ、なんだ随分決まってるなぁ美里」

 そう、彼は真新しい黒スーツを身に着けていた。しかし、その格好に自分なりに違和感があるらしく頻りに僕の目を気にしている。

「変じゃ無いですか?明さん」

「格好良いよ美里、どうしたんだい?そのスーツは?」

「本当ですか?よかったぁ。あの、チーフに買って貰ったんです。高校入学祝いに」

「そっか、よかったな」

「えぇ……ところでそちらは?」

 僕の隣に座っている健太を軽く見て美里が聞く。

「あぁ、こいつは松岡健太。優の剣道部の後輩さ。ほら、健太、彼が美里だよ」

 僕が健太の方を小突いて挨拶を促す。しかし彼は軽く会釈を返したのみだった。ほんと、人見知り激しいなぁ。

「それでこいつが豊玉園のタダ券くれてね、皆で行こうかって」

「そうですか、彼が松岡君ですか」

「あれ知ってるの?」

「知ってますよ、明さんにいきなり喧嘩売った上に怪我させて、その後は付きまとってるんでしょ、この子」

 そういって今度は親の仇を見るかの様に睨む。

「いきなり何だよ、いくら先輩だからってその言い方は無いだろ」

 その視線を真っ向から受けて立つ健太……何か、険悪なムードが……。

「明兄ぃ、見て見てっ!似合う?似合う?」

 その険悪な雰囲気をぶっ飛ばしたのは玄関の扉をぶっ壊しそうな勢いで入って来た美幸と優だった。

 美幸は美里をブレーキクッション替わりに使い、肩を並べる。

 しかし……同じ兄弟で何でこうも印象が違うんだろう。美里はかなりきっちりしていてスーツ姿が様になっているのに対して美幸は全くのお子様ギャングとしか言い様が無い。

「美幸、なんだよその格好は。チビッコギャングじゃあるまいし……」

「え?似合ってないの?っかしいなぁ。優ちゃん、似合ってないってさ」

「え、かっこいいじゃん。なんかマフィアみたいでさ」

 話を振られた優が僕に言う。僕は美里と美幸の違いをもう一度検討する。

 そうか、美里はきちっと白いYシャツに赤いネクタイをしているのに対し美幸は思いっきり濃い青のカラーシャツに白と言うより銀色のネクタイを弛めに結んでいるのだ。その上、どこから調達して来たのか小さい丸レンズのサングラスを掛けている。それがまるっきり違う印象を与えていた。

「お前なぁ……一体そのサングラスはどこから手に入れたんだよ……」

 僕ががっくりしながら美幸に聞く。

「これ?清水のおっちゃんから奪ったんだ」

 清水さん、こんなの掛けてたのか……

「おや?そこに居るのは健太君じゃ無いか。って事は今回の遊園地話は健太君が持って来たんだ」

「何で健太の事知ってんだ?」

 僕が聞くと、美幸はさも当然の様に話す。

「だってさ、明兄ぃのあの一件はオイラが調査したんだもん。優ちゃんに頼まれてね」

「そゆ事だよ、お兄ちゃん」

「兄ちゃんには黙って進めていたんだけどね……逆上しそうだったからさ。結局ばれちゃったけど」

「で、やっぱり険悪なの?」

 優が僕の横にへばりついて耳打ちする。

「これ以上無いって位に……」

 僕も優にこそっと耳打ちをする。すると優は渋柿でも食べたかの様な表情を作る。

「困ったなぁ……」

「しょうがないだろ、これは無理矢理にでも仲直りさせるしか無いよ」

「でも、どうやって?」

「うだうだ考えてもしょうがないよ、取りあえず当たって砕けろだよ。遊園地に連れて行こう、優」

「何か嫌な予感するなぁ……」

 そして優のその言葉は見事に適中してしまった。



「おはよー、みんな。晴れて良かったよね」

 僕と優は少し寝坊してしまい集合時間よりちょっと送れて豊玉園駅につく。既に3人は改札口で待っていた。

「おはようございます」

 僕は健太から貰ったチケットを各々に渡し、豊玉園の中へと歩を進めて行った。

 優は集団とはいえ、久し振りに僕との外出だ。常に僕の右側にいて手を握りっぱなしだ。

「晴れて良かったよね、お兄ちゃん」

 優は僕の顔を見上げ会心の笑みを浮かべる。

「そうだね、優。後は……」

 僕が後ろを振返ると健太と美里はお互いを見ない様にそっぽを向いている。唯一の救いは健太が美幸に懐いたって事だ。どう言う状態でそうなったかは知らないが(おそらく美幸のその人懐っこい性格故だと思うが)健太は美幸の事を兄貴とまで呼んでいた。一体いつの間にか仲良くなる奴だ、美幸は……。

 だがそれも甘い流れだったのを僕は思い知る。

「お兄ちゃん、あれ乗ろうよ」

 優は次から次にアトラクションを指定する。僕達は半ば優に引きずられる様にアトラクション間を移動する。

 そして僕が美里と健太の様子に気がついたのは既にお昼になろうかと言う頃だった。

 僕の隣には常に優がいる。しかしその反対側はがら空きだ、そこを狙って二人の攻防は開始されていた。

 健太が隣を確保すれば、美里がさり気なく前に回り込み歩幅を狂わせ奪い取る。奪い取られた方も黙ってはいない、強引に割り込んで来て僕に話し掛けてくる。そんな状況がしばしば続く。そして、ついに健太がキレた。

「何なんだよっ!俺と師匠の話の邪魔をするなよっ。ちょろちょろと、あっちにいろよ!」

 そう言って、美幸がいる方を指差す。そう言われて黙っているような美里では無かった。さすがに声を荒げるようなことはしなかったが、その分ちくちくと刺す様な言葉を投げる。

「それは私が言いたいね。君がここにいると優様と明さんのガードをするのに邪魔なんだよね。君こそあっちに行ったらどう?あっちには美幸がいるじゃ無いか」

「だったら兄貴とポジション入れ替えればいいだろっ。俺は師匠と話するんだからっ!」

 ついに二人は立ち止まって激しい言い合いを始めてしまう。下手をすると取っ組み合いの喧嘩が始まりそうな勢いだ。

「お兄ちゃんいいの?放っておいて……」

「いい、放っておけよ。あいつらのしたい様にやらせるさ。美幸、あそこのスナックコーナーでジュース買って来て。そこに座ってひと休みしよう」

「ほいよっ。でもさ、明兄ぃってもてるよな」

 僕が財布からお金を取り出すと美里はそれを受け取りざま軽く肘鉄を突く。

「いらんこと言わないでいいから早く買ってこい」

「はいよっ」

 そう言って美幸は小走りに売店へジュースを買いに行く。僕と優は手近にあるベンチに腰掛け一緒に溜息をついた。

「まさかこんなになるとはなぁ……」

「二人とも負けん気強いもんねぇ……」

「どっちが隣でも構わんと思うんだけどなぁ」

「でも本人達にとっては重大だよ」

「いっその事優が譲る?」

 僕は冗談めかして優に話を振った。

「そんなの却下に決まってるじゃん。ボクの隣にはお兄ちゃんってもう決まってるの。いくらあの二人の頼みでも譲れないよ」

 優は少し頬を膨らませて僕に宣言する。

「……だよなぁ」

 僕は再び溜息を突き、言い争う二人をぼけっと見つめていた。そこに美幸がジュースを買って帰ってくる。

「明兄ぃ、あれ放っといていいの?なんかギャラリー出来始めているけど……」

 見ると、確かに何ごとかと二人を取り囲んでいる人が出来始めている。僕はアイスコーヒーにミルクを入れてかき回しながら美幸に応える。

「放っておけって言いたいけどね。恥ずかしいからこっちに来いって言ってくれる?」

「らじゃ、行ってきまーす」

 美幸は二人をこちらに戻すべく走って行く。そして二人に何ごとか話して……あ、美里に引っ叩かれた。美幸は頬を押さえながらすごすごと戻ってくる。

「明兄ぃ、オイラじゃ駄目だよぉ」

「お前またなんか変な事言ったんだろ…….」

「おいらなんにも変な事言ってないよ。ただ男同士の痴話喧嘩なんてみっともないしましてや本命はあっちにいるのに何やってんの?って言っただけだよぅ」

「……充分余計な事ばかりだよ……それ……」

 僕は、思わず頭を抱えた。悪気は……悪気は無いんだろうが何でここで事態をややこしくするかなぁ……。しょうがない、僕は二人の方へ向かう。

「大体、明さんを襲っておいて良く師匠なんて言えるよな!」

「うるさいな!先に知り合ったからってそんなのべつに有利でも何でも無いぜ!それにあんたなんかに師匠の凄さが解って堪るかよっ!」

「そんなの君に言われなくたって解ってるさ!そっちこそ明さんの全部なんて知らないだろっ!」

 僕が近付いても二人は一向に言い争いを止めない。うぅ……恥ずかしいなぁ。このまま続けさせてたら何言われるか解ったもんじゃ無い。

「おい、いい加減止めないか、二人とも。もういいからこっちに来いよ」

 僕は二人の肩に手を置く。とほぼ同時に二人は僕の手をはらう。

「放っておいて下さい、明さん。これはもうこの子と私のプライドの問題ですから」

「この子って言うなっ、俺には松岡健太って名前があるんだっ。師匠!こいつやっちゃってもいいだろっ?俺もう我慢の限界だ!」

 健太ははいつでも攻撃出来る様にファイティングポーズをとっている。

「かかって来れば?君は絶対勝てないよ。何で叩きのめされたい?空手?柔道?それとも少林寺拳法がいいかな?」

 美里は明らかに健太を挑発する目的で馬鹿にした様な口調で話す。

「いい加減にしないかっ!」

 僕は二人の頬を引っ叩くとそれぞれの腕をつかみベンチの方へ引っ張って行く。そして、二人を並んで座らせ、その向いに僕と優が座る。美幸は僕の横に立ったままだ

「一体何のつもりなんだお前等は」

 僕が詰問調に強く言う。最初に口を開いたのは美里だった。

「だって……」

 それきり口を噤む。僕は健太の方に眼を向ける。

「……」

 健太はそっぽを向いたまま、喋ろうともしない。

「……判った。お前等が仲直りするまで僕に一切近付くな。もし、そっちから話し掛けて来ても僕は無視するつもりでいるから。それじゃ、僕らは帰るよ。優、行こう。お前等は好きにしろ」

 僕は優の手を取り立ち上がり、二人に背を向ける。

 そして一旦立ち止まり美幸を呼び、彼に謝る。

「悪いなぁ、美幸。損な役ばかり押し付けて……」

 美幸は破顔して僕に親指をたてた。

「いいよ、明兄ぃ。オイラはこういう事得意だしね。それにこのまま兄ちゃん達放っておいても問題あるしね。兄ちゃん達の事は任しておいてよ。たまには二人きりで邪魔の無いデートでも楽しんできなよ」

「ごめんね、美幸」

「いいってば優ちゃん、気にしないでも。元々優ちゃんの彼氏にちょっかい出している方が悪いんだから、ネッ」

「じゃぁ、あの二人の事頼むよ」

「らじゃ」

 美幸は軽く僕に敬礼をした後、僕の背を押して早く行けと促す。僕はそのまま彼等を背にして遊園地を後にした。



「お兄ちゃん、あれで良かったの?」

 優がパスタを頬張りながら聞いて来た。あの後、優へのお詫びとして優の請われるままに映画を観て、少し早めの夕食をとっている最中なのだ。僕としてはとっとと家に帰ってふて寝でもしたかったのだが、美幸の言葉に優が乗ってしまったので結局二人きりのデートと言う事になってしまった。

「ん〜?いいんだよ。あの二人にはいい薬さ、第一僕だって怒るんだって事教えておかないとな」

「そりゃそうだけどさ、ボクも散々やられた口だしね。でも美里達だいぶ落ち込んでいるみたいだったからさぁ」

「可哀想か?」

「なんかねぇ……」

「でも優のライバルだよ?」

 僕はそう言ってす腰意地悪気に優の顔を覗き込む。しかし、優はさらりとその言葉を躱す。

「構わないもん。どーせ美里達は2号さんの座を取り合ってるだけだもん。僕には影響ないよ」

「に……2号さんって……」

「だって本当の事でしょ?本命争いだったら僕にもちょっかい出してくるよ普通。それとも何?お兄ちゃんはそう言う状況になって欲しいの?」

「御冗談、優も結構意地悪だな」

「あははは、ごめんね。でもさ、あれはお兄ちゃんも悪いと思うな。お兄ちゃんは誰にでも優しすぎるんだよ。まぁボクはお兄ちゃんのそこがいいと思ってるんだけどね」

 優が僕の顔を見て微笑む。

「悪かったよ、八方美人でさ」

 僕は少しむくれる。

「だから言ったじゃない、ボクはお兄ちゃんのそこが好きなんだってば」

 優は僕の眼をじっと見た後に持っていたフォークで僕の頬をつんと突いて来た。

「痛いな、優」

 僕はお返しとばかりに優の両頬をムニッとつかんでやる。

「ありがと、優。僕も優の事が一番好きだよ。その面白い顔も全部ね」

 にっこり笑って言ってやるとぷるんと顔を横に振って僕の両手をはずす。

「ひどいや、お兄ちゃん」

「ははは、ゴメンゴメン」

 僕達は結果的に充分二人きりのデートを楽しんで家路についた。



 すっかり陽も落ちてしまい暗くなった部屋の前に着くと誰かがうずくまっている。僕達が帰って来たのを感じ取ったそいつは立ち上がりこちらを向いた。果たしてそれは、泣き腫らした顔の美里だった。

「……あの……」

 しかし僕は美里を居ないものとして部屋のカギを開ける。

「明さん……今日はゴメンなさい」

「優、開いたよ」

 僕は優に一言だけ言って部屋に入る。

「美里……暫くは諦めた方がいいと思うよ。お兄ちゃんには僕から言ってあげるから……」

「すいません、優様……」

「優、誰と話しているんだ」

「今行くよ、ちょっと待ってて。お兄ちゃんもあれで頑固だからね……」

 美里は声もなくがっくりと肩を落として帰って行く。それを見た優が僕にくってかかって来た。

「お兄ちゃん、あれはあんまりだよ!」

「判ってる、でも僕は宣言しちゃったんだ仲直りするまで無視するって……」

「でも……」

 尚も言いつのる優を僕は抱き寄せる。

「僕だって辛いんだ。解ってくれよ……優」

 優も僕の顔を見てぎゅっと抱きついて来た。

「ゴメンね、お兄ちゃん。そうだよね……」

 そんな事が一ヶ月前にあった訳だ。そして今日やっと二人の仲直りが優の口から報告されたので僕としてもほっとしている。



「日野君……おい、日野君、聞いているのか。会長がお呼びだ、さっさと会長室に行きなさい」

「あっ、はい!すいません、室長」

 しまった、ぼけっとしてしまった。室長の温和な声が少し恐い。この室長、怒らせるととても恐いのだ。ちょっとしたチンピラなら只の一喝で逃げて行ってしまう。

「私はいいから……会長が待っているぞ」

 僕は慌てて会長室のドアを叩く。

「日野です、失礼します」

「来たか、明君」

「あの、何か御用でしょうか。本日は外出の御予定は無いと思ったのですが」

「あぁ、今日は一切外出の予定は無いの。別に外に出るから呼んだ訳では無い。これを渡そうと思ってな」

 会長が机の下から取り出したのは一本のワインだった。

「あの……これは?」

「お主……自分の誕生日も覚えとらんのか?」

「え?あ、そうか……今日だったんだ。ありがとうございます会長」

 すっかり忘れていた。いや、自分の誕生日を忘れていたんじゃ無いんだ。誕生日が今日、この日だって言うのを忘れていたんだ。

 僕は会長から貰ったワインを持って仕事場、秘書室の方へ戻る。すると室長が僕の方によって来た。

「お、会長から貰ったのか」

「はい、自分の誕生日が今日だって言うのすっかり失念してて」

「なんだなんだ、自分の誕生日にも気がつかなかったのか」

 室長が笑う。

「どれ、どんなのを貰ったんだ……」

 僕が室長にワインの銘柄を見せると、室長は軽く口笛を吹く。

「ほぉっ、ヴィンテージ物じゃ無いか、よっぽど気に入られているんだな、君は」

「高いんですか?室長」

「そうだなぁ、ちょっとしたクラブで頼んだら軽く20万は取られるかな?」

「そ……そんなに高いんですかぁ!いいのかなぁ……」

 僕は思わず吃驚して大声を出してしまう。

「このランクのワインを貰うのは私達クラスの役職以上の人間だね。まぁ何だ、早くそのワインを貰っても気後れしない様に出世するんだね」

 室長は僕の方を叩いて去って行く。プレッシャーだなぁ。

 そんなこんながあって終業時間がやって来た。今日は特に急の残業も無いので定時に会社を出る事が出来た。僕は貰ったワインを大事に包んで家に帰る。

 家に戻ると…….玄関に貼り紙がしてあった。優の字だ。

『お兄ちゃんへお食事の準備が出来たら呼ぶから美幸達の部屋にいて。』

 何だろう、また何か企んでいるのか?僕は仕方なく向いの部屋をノックする……。が、誰も居ない様だ。なのに玄関のカギは開いている、不用心だなぁ。

 僕は薄暗い部屋に入り電気をつける。そして携帯で自分の部屋に電話をかけた。

『はい、日野です。』

「もしもし、僕だよ」

『あ、明兄ぃ、今どこ?』

「美幸か……今お前んちだよ。カギも開けっ放しで……一体何やってるんだ?」

『それは秘密だよ〜ん。もうすぐ準備出来るから少し待っててよ。』

「判ったよ。早くしろよな。僕は腹減ったんだから」

『らじゃ。』

 僕は電話を切ると僕の部屋とは対称になっている部屋を見渡す。

 多分美里の性格なのだろう。部屋はきちんと掃除されており、ほとんど余計な物が無い。ただ少年漫画雑誌が山程あるのは御愛嬌か。

 僕はその雑誌を読みながら時間を潰す。



「明兄ぃ、準備出来たからさぁ入ってもいいよ」

 美幸が突然部屋に入って来て僕の背後を取る。

「吃驚させるなよ……。判った行こうか」

「もっと吃驚するから、へへへ」

 僕は内心、こいつら何やらかしたんだろうって不安が芽生え始めて来た。

 カチャッ

 バンッ!

 僕が部屋に入った途端。目の前にいた優がバズーカ型のクラッカーを鳴らす。盛大な紙テープが僕を襲った。

「お兄ちゃんお誕生日おめでとー!」

「びっ吃驚するじゃ無いかっ!」

「そぉ?でも、今日の吃驚はこんなもんじゃ無いと思うなぁ」

 優がにやにやしながら僕に話し掛けてくる。

「何を企んだ、優」

 僕が詰め寄ると、優はクイッと親指を居間の方へ向ける。見れば判るって事か……しかし普段開け放しになっているドアはきちんと閉まっていて居間の様子を伺い知る事は出来ない。僕は恐る恐るドアをあけ……、思わず頭が痛くなった。そこにはとんでもない物があったのだ。



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